じろうさんのこと

この記事も私の独り言、じろうさんとの対話のような時間なので勘弁してください。
  
じろうさんは私が28歳からの17年間を見ていてくれた
親類縁者が誰もいない北海道で 一人暮らしをした10年間
じろうさんやぷぅさん、かんば、ぶな、まっきぃがいてくれなかったら
私はとっくに尻尾を巻いて本州へ帰っていたと思う
今の私の幸せは この当時の家族の支えが導いてくれたものだ
じろうさんは私にとって家族であり、守るべき者であり、同士のような、生きる上での師匠のような特別な存在
何度も病気を乗り越えて、家族をとても大切にしてきたじろうさんを 私は本当に尊敬してきた
年をとってからはとても可愛いおじいさんになって 新しい家族を受け入れてくれたじろうさん
じろうさんを大好きなKファミリーのひかるちゃんは 「 私、絶対じろさんを飼う。」 とずっと言ってたっけね
  

今年の3月までは 4年間発作もまったく出なくなってとても楽しそうに暮らしてくれた
缶詰が欲しいと ただ黙って座って待ち続けてた姿が可愛かったよねー
3月5日に突然後ろ足がマヒして 発作も一日に何度も起きて
父ちゃん母ちゃんは もうダメなのかと半分あきらめかけたけれど それでもじろうさんは頑張ってくれた


かんばもずいぶん穏やかになって じろうさんを励ましてくれたね


元気になったらやっぱり父ちゃんのストーカーで 父ちゃんが座るのをじっと見つめて待っていた
父ちゃんはじろさん専用ソファだもんね


ねぇじろさん、こんな平和な時が過ごせるなんて 4年前なら想像も出来なかったよね
  
4年前、いきなりの発作でもがき出したじろうさん
日を追うごとに回数も程度も悪化していって ご飯も食べられなくなっていった
病院でもらったてんかんの薬でも思うように発作が治まらなくて
昔 ある喫茶店で亡くなった黒ラブにわんこの絵本を送ってくれたという病院に
母ちゃんは藁をもすがる思いで行ったんだ
それがじろうさんの強運だったんだと思う
  
そこは旭川で唯一ホメオパシー代替医療をしてくれるところだった
先生に言われ 1か月以上じろうさんを詳しく観察して日記をつけた
発作が起きたときの天気、気圧配置、気温、どんな時に起るか(食事の後?ヒトが帰ってきて興奮した時?など)
発作の程度、間隔などなど 細かく観察していった
先生もいろんな勉強をしてくれて やっとじろうさんに合うホメオパシーが見つかった
お姉の病気でも一時使っていたので ホメオパシーという単語は知っていた
代替医療にはいろんな意見があるのも知っていた
でもじろうさんに関してだけ言えば それからの平和でのんきに暮らしていたじろうさんと私達の4年間は
先生とアルニカのお陰だと思っている
  
arnicaアルニカ 薬草辞典で探したら母ちゃんのよく知っているウサギギクだった
ウサギギクは高山植物 大雪では8月に小さなヒマワリのような黄色い花が咲き、葉がウサギの耳の形をしている
2か月ほど飲んで少しずつ回数が減り そしてじろうさんの発作は何事もなかったように治まった 
その上それ以降4年間まったく飲まなくても起きなくなった
母ちゃんはそれから毎年 山でウサギギクに出会うたびに「 ありがとね。」とお礼を言った
その時の観察記録は、嫌な思い出ではなく良い思い出になれたんだ
 ユミ先生ありがとう じろは間違いなく幸せだったよ
  
今年じろうさんには 新しい刺激が増えた

りんごの“ 遊んで攻撃 ”にはちょっと引いたこともあったけれど

りんごのお里から頂いた毛ガニもちょっぴり舐めることができて とてもうれしそうだった

誰に対しても どんな時でもじろうさんはマイペースを崩さない


そんなじろうさんの生き方は 私のお手本なんだ。

これは亡くなる4日前   きっと最後までいっぱい楽しんで、楽しんで そして逝ったんだよね?
これからもじろうさんは私の師匠だよ
長い時を一緒に歩いてくれて本当にありがとう 
ずっと、ずーっと愛してる。